世を捨て街へ出よう

世を捨てた若者の日々の記録です。

だめ人間の半生

ブログを開設したこの辺りで自己紹介も兼ねて、

だめ人間である自分の半生を軽く綴ってみます。

出生

1994年秋、農家の娘である母と、サラリーマンの息子である父との間に生まれました。

 

幼稚園時代

シャイだけど明るく元気な幼稚園児でした。

砂だんごを作る事と虫を捕まえることに命をかけていました。

仲間外れにするのが好きな友達にブチギレて頭をフライパンで殴るという事をしたことがある気がします。

その友達とはなんだかんだ関係が修復して、隣町に引越して小学校に上がってもたまに遊ぶような関係にはなっていたと思う。

我慢する分、ブチギレるとヤバイというのは幼稚園からだったようですね。。。

小さい頃はぶつかりやすいけどその分、お互いを認めて受け入れ易いですね。

仲裁する大人がいて、素直だからですかね。

歳を取るとだんだんそういうことが難しくなっていきます。

 

小学校時代

小学校ではやんちゃなイタズラ好きだった。

自覚はないけど結構わがままな感じで少し問題児だったのかもしれない。

中学年ぐらいまでは地元のサッカーチームに入っていたり、クラスの中心の輪にも入って遊ぶようなキャラでした。

ある友達の影響でネットにハマりだしてから陰キャラにまっしぐらでしたね・・・。

友達と遊ばず家に引きこもるようになったり、小学生にして徹夜でチャットとかネトゲをするようになってしまった。

友達との遊びを断ってネットをやる俺かっこいいとか思ってました。

デスノートコードギアスを見て早くも中二病を発症。

このへんはもう黒歴史ですね。

この頃からアニメが好きだった。余談だけど性にも目覚めていたと思う。

 

中学時代

ここがターニングポイント。

入学して半年ほど、学校にだんだん行かなくなる

中学にはたぶん合計すると1.5年ぐらい通ったと思う。いわゆる不登校ですね。

いきなり先輩後輩システムが導入されたり、部活の息苦しさもあったとは思いますが、

母への抵抗やストライキみたいなもので休んでいたのかもしれないですね。

一度そう決めて休み続けると自分でも後に引けなくなったり、いざ行こうと思っても弊害が増えていたりします。

今思えばそんなことをしても後々苦しむのは自分だけなんですけどね。。

不登校+不勉強だったので受験ではかなり厳しい現実が待っていました。

もうちょっと周囲の大人が社会の仕組みをちゃんと教えてくれればよかったんですけどね。

どいつもこいつも学校に行けばかりで全く響きませんでした。

学校に行っても勉強ができなければ結局は高校進学も危うくなって社会から弾かれてしまう。

子供の立ち場で言えば不登校児をただ学校に戻すだけでは意味が無く、学力も戻して初めて復帰が叶う。

そのプロセスの一部としての学校に通わせるということならいいんですけどね。

上手くプライドとかを取り払って子供に近づいて道を示すようなそんなアプローチは受けられなかったですね。

引きこもり不登校児は無知で世間知らずで現実逃避しかできないんですよ。

少子化のこのご時世、義務教育ぐらい不登校児の社会復帰に税金を注いでもいいと思うんですがね。

確かにそういう支援施設の人が数回家に来たりしたことはありましたが・・・

申し訳無さそうな顔で大人の事情で来れなくなるみたいなことを言われた覚えがあります。

世知辛いなと思いましたよ。

 

高校時代

近所の女性比が異様に大きい高校に落ち、みんなのすべり止め校にも落ち、辺境のDQN高にギリギリ入学。

最初は闇のような中学生活が報われるようなハーレムな高校生活が俺を待っていると期待していました。

当然そんなものが俺に訪れるはずはなく、泡のように消えた。

結局DQN高で三年間、クラスの女子*1のメアドを1人も知らないような高校生活を送る。

こんな高校生活を予知するかのように、高校1年の時に年上女性から筆おろしを受けに行った。

 

学校の授業内容がザルすぎて大学受験には到底役に立たず、独学も捗らず、そのまま流されFラン大学しか進学できない学力になる。

Fラン大に行く意味を見出せず、進路未選択のまま卒業。

こんなDQN校だったけどそれを変えようとしているいい人や、社会経験のある人、高学歴な先生が半数ぐらいいた印象がある。

だめそうな人もいたけどね。

 

現在

適当にバイト。

当初は浪人をして大学を目指そうとしていましたが予備校に通うお金もなく家で腐りました。

*1:ブサイクで有名な女には聞かれました