秋葉原無差別殺傷事件から14年、加藤の元同僚のTwitterアカウントに想う
Twitterをなんとなく見ていた時にたまたま見つけたこの記事。
これをきっかけに思ったことを書こう。
まず、モヤッた点を書かせてもらう。
- 純粋に秋葉原無差別殺傷事件について取材した記事ではない*1。
-
事件当日が6月8日でそこに合わせての記事公開にも関わらずそれにも触れていない*2。
- 大友さんは現在もTwitterで活動されているんだから敬意と読者のためにもリンクくらい貼れ
モヤモヤは以上。
加藤は普通の友人だった
加藤と同僚だった大友秀逸さんは仙台市の警備会社で加藤と共に働いており、2003年2月~2005年4月の約2年間交友があったらしい。→2008年に犯行。
加藤が埼玉のトラック工場へ就職するために離れたと別記事にあった。
この警備会社が相当なブラック企業で、苦楽を共にした事で大友さんは加藤へ友人感情を強めていったと伺える発言をしています。
いくつかの大友さんの記事を読むと、大友さんが描く加藤の人物像が浮かび上がります。
真面目、感情的、衝動で物に当たる、理性が効かない、反省して涙。
大友さんは社内のもっとキレやすい人を警戒していたと言うので、「社内では突出してヤバい」レベルにはなかったみたいだ。
とはいえ、電話を壊したりキレやすい人間性が伺えた。
メディアの偏向と大友さんが抱く加藤という人間へのギャップもまた大友さんが実名で活動を続ける理由の一つと言える。
加藤はたぶん普通のやつだった。
加藤を歪めたなにか
普通と書きましたが、普通の底辺の若者だったと言うのが正しいところ。
加藤智大wikiによると学歴に厳しい母親の元で有名進学校へ入学したのちに振るわず、整備士の学校へ行くも不登校になり資格取得できず卒業。その後に仙台の警備会社へ就職、無断欠勤からの退職を繰り返し職を転々として犯行に及んだという。
歪みの一つは厳しい母親の教育、次に挫折、社会であると思う。
母親の教育はなかなか酷かったようですね。
コミュ力がない加藤少年のアイデンティティである学力優位を進学校で失い、コミュ力もなければ学力もなくおまけに顔も悪いと来たら学内ヒエラルキー最下層は想像に難しくない。
自動車整備士を目指す短大に進学してもコミュ力がない上に車の免許もないんじゃ相手にされずに進学校上がりも少なく浮いた存在になるのもまた想像に難しくない。
そして社会に出ても一発目がブラック企業じゃ上手くいかない。
その一発目の警備会社では過去に仙台アーケード街無差別殺人事件を起こした犯人もおり、他にも事件化されていない死人が出るようなことがあったとも書かれていた。
トラブルは日常茶飯事のようでそういう人間が集まるべくして集まったり起こるべくして起こってそうですね…。社会から見えない部分。
歪んだ人格形成とその助長ってわけです。
職を辞める間隔が短くなっていってるので当初は真面目に頑張っていたんだろうけど、報われずに馬鹿らしくだんだん我慢ができなくなっていった。
その溜まりに溜まった黒いものがちょっとしたきっかけで爆発した。
それがこの事件の全てだと思います。
そのきっかけが心の拠り所だったネット掲示板でなりすましされた事であっただけだと思います。
別のきっかけがあれば時間の問題で犯行に及んでいたでしょう。
大友秀逸さんはその全容ではなく歪みの発端や片鱗を見ていた形にはなりますが、自分が何かしていたら事件を止められたと思うのと同時に、自分が加藤になっていてもおかしくないときっと思ったのではないかと推察します。
大友さんも自殺未遂経験があると発言していました。加藤も自殺未遂をしたのちの犯行でした。
人は失うものがなければ何でもできる
加藤のことはもう正直語り尽くされていると思うのですが、自分が言いたいのは追い詰められた人間にはなんの抑止力も働かないってことです。
女が欲しければ●えばいいし、金が欲しければ●めばいい、ムシャクシャしたら●す。
死ぬつもりの人間に死刑がなんの抑止力になるんだってことです。
誰かをいじめたり追い詰めれば巡り巡って最終的に社会に返ってくる。
救われないものはどうしようもなくなって欲望を晴らす。
失うものがない人を作らないことが最大の抑止力である思う。